異常気象の実態!季節の節目がなくなりつつある?

親戚が体験した東海豪雨!洪水で家や家具を全部失った!

母の実家は愛知県西春日井郡西枇杷島町(現・清須市西枇杷島町)にあり、後で聞いた話なのですが、母の兄弟はやはり全員東海豪雨の酷い被害を受けてしまいました。

母の兄(2番目の兄)は、自分の家を守りたい一心で、家族が避難所へ行こうといったにもかかわらず、「1人でもこの家を守る!」と言って聞きませんでした。西枇杷島町の近くには庄内川が流れています。はっきりとは分かりませんが、庄内川が増水して、堤防が切れて洪水の被害が出てしまったと思われます。

でもゲリラ豪雨は収まるどころか、どんどんひどくなる一方で、母の兄の家もたちまち床上浸水になってしまいました。家族は先に避難所へ行ってしまいましたので、もうどうすることも出来ません。母の兄は命の危険性さえ感じました。

「あの時、家族と一緒に避難所へ逃げていれば…!」母の兄の後悔しました。外に出ればもうひざのあたりまで水があふれていて、これでは例え近い避難所でも歩くことは不可能です。1人残ってしまった母の兄は、この瞬間死を覚悟したそうです。もう自分は助からない、この水につかってしまった家と心中するしかないのか!と。

やっと朝が来て、ゲリラ豪雨は収まりましたが、母の兄はもう体力が限界に来ていました。夜中中立ちっぱなしだったので、もう座る感覚も失ってしまったのです。丁度そこへ自衛隊のボートがやってきて、自衛隊に「ここで何してるんですか?」と聞かれたそうです。

母の兄は自衛隊の姿を見た瞬間、「あ~、命助かったぁ!」とへなへなしてしまい、自衛隊の救命ボートで家族の待つ避難所へ運んでもらいました。もう道路は川そのもので、豪雨から2日たっても一向に水は引きませんでした。

西枇杷島町地区はあっちを見てもこっちを見ても、川のような状態でした。車も洪水ですっかりダメになってしまいました。

母の弟が携帯で母のところに連絡をしてくれました。全員無事だということを。でも命は助かっても、兄弟全員の家はもう住めない状態になってしまいました。洪水で全部何もかも失ってしまったのです。

酷いところはもう天井まで水につかってしまい、家具も電気製品など生活用品全滅になってしまいました。しばらく避難所での生活を余儀なくされましたが、何とも東海豪雨の爪痕は親戚の今後の生活に本当に暗い影を落としていきました。

住む家がもうない…!!しかも兄弟全員が。とりあえずもう使えない家具や電気製品は処分することとなり、ゴミとして近くの公園に捨てにいきました。そしたらもう予想以上のゴミの山で驚きました。布団、家具、電気製品何もかも泥水で黒くなって、どこの家庭も住む家や財産を失ってしまいました。愕然とした親戚一同でしたが、何とか立ち直りをするために、新しい家を建てようと必死に頑張りました。

母の弟は今まで住んでいたところから少し離れたところに土地を買い、新しく家を建てることになりました。何もかも失ってからのスタートでしたので、お金はものすごくかかったと言えます。

家具も電気製品も全部買い替えです。でもこういうときだからこそ、兄弟力を合わせて何とか頑張れたのです。何とか兄弟全員新しい家は完成させて、また住むことが出来るようになりました。

東海豪雨で、学んだことは兄妹同士の絆をいかに日頃から大切にしておくと、いざというときに本当に心強い助け合いが出来るということですね。