異常気象の実態!季節の節目がなくなりつつある?

母語る!昭和の三大台風の1つ伊勢湾台風の恐怖とは?

皆さんは「伊勢湾台風」をご存知でしょうか?伊勢湾台風は昭和時代の3大台風に挙げられています。その他には「室戸台風」「枕崎台風」などがあります。今回は母が若いときに戦後初めて生きるか死ぬかを体験した伊勢湾台風の恐ろしさについてお話します。

伊勢湾台風が発生したのは、1959年(昭和34年)9月26日紀伊半島から東海地方を直撃した大きな台風でした。当時は台風15号として日本を襲いました。

母がこの伊勢湾台風に境遇したのは、当時20代前半くらいの頃で、母の実家では八百屋を経営していました。誰もがこんな大きな台風が襲ってくるなんて夢にも思わなかったくらいでした。昭和30年代と言えば、まだテレビがどこの家庭でもあるわけではなく、寧ろぜいたく品扱いでしたね。

母の若い頃はラジオを聞くのが常に習慣になってましたから、現代の様にテレビで台風の進路予想などの報道はまだまだ乏しかった模様です。ですから台風がいつ頃通るなんかなんて全然分かりませんでした。

母の記憶では、伊勢湾台風が襲う前の天候は非常に良く、まさかそのあとに大きな台風が襲ってくるなど予想がつきませんでした。商売を手伝っていたので、台風のことなど家族全員が頭になかったのです。

色々母に伊勢湾台風の恐ろしさを記憶をたどって聞いてみましたが、台風が襲ってきたのは夜の時間帯だったとか。家の雨戸を釘で打ち付けて、強風に飛ばされないようにし、店の売り物も全て倉庫に移動させ、何らかの処置を取っていました。

でも本当に恐ろしい思いをしたのは夜遅くの時間帯でした。大雨の上に強風と暴風。家は今にも壊れそうなくらいのぎぎぎ~とまるで横揺れを感じたり、奇妙な音が母の家族全員を恐怖に陥れました。

「もしかしたらこの台風で家族全員が命を落とすかもしれない!」母の頭の中は常に恐怖で怯えていました。この頃は現代の様に避難所はありませんでしたから、家の中で家族全員が台風が過ぎ去るのをひたすら待っていたのです。

ラジオでは当時でも「暴風警報」は気象庁から出されていたので、もうラジオの情報だけが頼りでした。しかし、台風の強さは容赦なく襲いかかり、もう母たちも命を守ることに必死でした。

長時間の暴風の中、母と家族たちは眠ることが出来ず、ただただ台風が早く去っていくのを待つしかありませんでした。強風で庭の木々は倒れ、植木もめちゃめちゃで、もう手が付けられませんでした。

倉庫に運んだ店の商売品も暴風のため、天井に大きな穴があいて、たちまち水浸しになってしまいました。でも今は物より家や自分たちの命を守ることが先決。母の兄は先だって家族を必死に守りました。

でも運の悪いことに、停電となってしまい、ラジオで台風情報を聞くことが一切不可能になってしまいました。家の中は真っ暗だし、唯一ろうそくを電気の代わりにしても、どう対処したらいいのか全然分からないままで…「これ以上何しても対処のしようがないから、このまま暴風がおさまるまで待つしかないな。」と母の兄は言いました。

家がまるでねじれるような音と暴風の恐怖…家族全員が何も出来ないので、眠れぬ夜を過ごしたまま、台風への恐怖は続きました。

私が母から聞いた伊勢湾台風の恐怖な体験は以上です。勿論私はこの頃はまだ生まれてませんから、伊勢湾台風の恐怖は知りません。でも母の記憶には今でもはっきりと残っています。