異常気象の実態!季節の節目がなくなりつつある?

9月降水量2倍超え!異常気象がもたらした東海豪雨の恐ろしさ!

9月から10月にかけて秋雨前線が停滞しやすい時期に大きな自然災害がありました。それは2000年(平成12年)9月11~12日に起きた「東海豪雨」です。

何故「東海豪雨」が発生したのか、その原因を探ってみますと、当時の台風14号の影響からか、秋雨前線を更に活発化させ、暖かい湿った気流が流れ込んだと言われています。

しかし、たかが大雨か~と甘く見てますと、どんでもない目にあいます。当時の雨の降り方は異常でした。雨がどんどん横殴りになり、傘は役に立たず、たちまちびしょぬれになりました。そして交通マヒが起こり、帰宅困難者で駅周辺は人で溢れていました。

この東海豪雨で酷い災害を受けた地域は広範囲にわたっています。愛知県名古屋市、一宮市、春日井市、西春日井郡(現・清須市)の清洲町、西枇杷島町、新川町、豊山町、半田市、刈谷市、大府市、あま市、東海市、岐阜県恵那市などです。

特に名古屋市内で水害が最も酷かったのは、天白区です。そばを流れる天白川の決壊により周辺の居住地は水没し、亡くなった人がいました。

名古屋駅は大雨により地下鉄の階段には大水が流れ込み、地下街は水浸しになりました。交通機関は運休に見舞われ、夜遅くになるにつれ、ますます帰宅困難者が増えて行きました。

泊まる所がないので、仕方なく駅周辺の床の上で寝たり、一部の電車を寝泊り用として開放して、帰宅できない人達の為にホテル代わりとして提供しました。

庄内川、矢田川など橋の下を通る道路は全て洪水の危険性が高いので、通行止めにしました。大雨が降ると川は一気に泥水で不気味なくらい量が増えました。

幸い私の住んでいる地域では避難勧告は出ませんでしたが、やはり大雨対策として、家じゅうの雨戸は閉めて、風に飛ばされやすいものは玄関に運びました。でも長時間に及ぶ大雨は全然やむ気配がありませんでした。

母親は「これは伊勢湾台風以来の大災害になりそうだ。」と話していました。伊勢湾台風を経験している母はまた人生で2度目の生きるか死ぬかの自然災害の恐ろしさを味わったことになります。

自分の命は自分でしか守れない…!!やはり人間っていざ自然災害に襲われると全然立ち向かうこと出来ません。どうしても自然のことは人間は勝てないのだ、と実感しましたね。

この東海豪雨での降水量は平年の9月の2倍を遥かに超えていました。名古屋市で総雨量は528ミリに達していました。この大雨で、洪水に見舞われた範囲はさらに広く、床上、床下浸水の件数が半端じゃないことが分かりました。

堤防が決壊し、川が流れ込んで洪水を引き起こしたのです。ですから水をかぶった家や建物も結構多かったです。

三大都市の1つ、名古屋市で東海豪雨の被害を受け、どんなに土地や家が高台にあっても、傍に川があれば大雨であっという間に水没してしまいます。もう床上浸水になってしまうと、まず命優先で避難所へ向かわなくてはなりません。

こういうとき、携帯やスマートフォンは便利です。かけるだけでお互いの無事を確かめ合うことが出来ます。しかし私の母は携帯もスマートフォンも持たない人なので、洪水の被害を受けた親戚の状況が全然分からずやきもきしていました。

固定電話では連絡のしようがありません。親戚のいる周辺は東海豪雨で酷い被害を受けていたことがテレビの報道で分かったからです。

2日間であっという間に広範囲にわたって、洪水で溢れた建物や車、バスの車庫。いかに東海豪雨は今後の生活に暗い影を落とすこととなってしまいました。