異常気象の実態!季節の節目がなくなりつつある?

昭和40年代~50年代!日本の季節はちゃんとハッキリしていた!

私が小学生だった頃、日本の四季はハッキリしていると、大人から聞かされたものです。4月桜が咲くころはまだ若干寒さは残っていても、暖かい春風が吹いていて、気持ち良かったです。

堤防でつくし取りなんかもしていました。つくしこそ春の訪れを感じさせてくれる植物でした。

当時私達の間では川遊びが流行っていて、めだかやザリガニを捕まえることが多々ありました。男の子中心の遊びではありましたが、女の子も交じってめだかやザリガニを捕まえていました。

おたまじゃくしやその他の小さな魚が泳いでいるのも多く見られ、本当に春独特の自然観を味わうことが出来ていました。たまにカメが混じっていたこともあったくらいです。

田んぼが多かったのもあり、5月の田植えには沢山のカエルが出没し、夜になるとカエルの鳴き声が大合唱のように響き渡ってました。水鳥も多く見られ、田んぼを荒らす悪い虫などを食べてくれ、春から初夏への季節感を十分感じていました。

梅雨の季節も勿論ありましたが、現代のような不快になるようなベトベトジトジトはそれほどなかったような気がします。

梅雨が明ければ、本番の夏は今も昔も変わりありませんが、気温は30度~33度の日が殆どで、体温並み以上の気温になることは全然ありませんでした。

昔の暑さ対策と言えば、夕方道路に水巻したり、ゴムプールに水を入れて、水浴び、縁側で昼寝、うちわさえあればそれだけで十分暑さをしのぐことは可能でした。それでも暑さにガマン出来ない時には扇風機が活躍していました。

家の窓を全開にしておけば、それだけで風が十分通って涼しかったものです。特に気温が下がり始まる夜には近所の男性たちが、椅子を持ち寄って囲碁をやっていた光景もよく見られました。

そして真夏の風物詩・花火大会や盆踊り大会など、夏の行事は目白押しでした。私はその時は子供でしたし、夏休み中だったこともあって、夏を思う存分楽しんでいた覚えがあります。それほど暑さを感じていなかったのかもしれません。

でもお盆の8月中旬になると、つくつくぼうしが鳴き始め、少しずつ夏から秋への季節の変わり目を感じていたことも覚えています。お盆を過ぎるとコウロギが鳴き、秋の気配がどんどん進んでいきましたね。

海辺では波がどんどん高くなっていき、遊泳禁止、サーフィンも禁止になりました。これも秋の訪れを感じさせる1つでした。

秋が本格的になる9月末~10月以降はしばらく秋らしい爽やかな陽気が続きました。秋の運動会、秋祭りなど地域の行事も沢山ありました。外ではとんぼが沢山飛んでいる姿もよく目にしたので、とんぼを捕まえることもしていました。

10月下旬になると、そろそろ冬の気配を感じるようになり、木の葉がだんだん緑から黄色へと変色していきました。朝の冷え込みが厳しくなると、いよいよ秋も終わりか~とこれまた晩秋なのだと実感していました。

11月に入ると朝晩の冷え込みは厳しいものの、昼間の暖かい陽気には今でも「小春日和」と呼ばれていますよね。衣服ももう冬物になってくるといよいよ冬への準備です。暖房器具、特に私達の子供時代はこたつが活躍していました。

12月にはもう年末で大人は慌ただしい生活を強いられてましたが、子どもだった私はクリスマスやお正月はもうワクワク感。でも毎日の生活で楽しかったのは、家でコタツに入ってみかんを食べることでした。

こたつ=みかんは昔は日常の冬の生活には欠かせなかったのです。今では懐かしい思い出ですが、今思うと本当に日本の四季は日常生活で十分感じていた、といえます。